December 21
折りたたみ傘は、もはや外国人が買う
日本土産の定番となっています
こんなにコンパクトで、カラフルで、軽くて丈夫な傘が
あるなんて、初めて見た外国人はたしかにビックリするかも。
まさに、日本人の繊細さと技術力の賜物でしょう。
2008年7月9日の日本経済新聞によると、
キディランド原宿店では、
晴れた日でも週に1,000本を販売するそうで、
購入客の9割はアジアや欧米から観光に
来ている外国人だそうです。
折りたたみ傘は、もはや外国人が買う
日本土産の定番となっています
こんなにコンパクトで、カラフルで、軽くて丈夫な傘が
あるなんて、初めて見た外国人はたしかにビックリするかも。
まさに、日本人の繊細さと技術力の賜物でしょう。
2008年7月9日の日本経済新聞によると、
キディランド原宿店では、
晴れた日でも週に1,000本を販売するそうで、
購入客の9割はアジアや欧米から観光に
来ている外国人だそうです。
150 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/12/20(日) 16:14:11.32 ID:XVF5DZqQO
紅白の出場者紹介番組を家族で見てて
母「だれこの人」
おじいちゃん「知らんな。今年は知らんやつばっかじゃ」
兄「しらねー」
姉「私も知らない」
俺「彼女は水樹奈々。現在もっとも勢いのある声優。
演歌仕込みの歌唱力でアニメファンを魅了し、今年念願の紅白出場。胸が熱くなるな。
彼女を知らないってのは日本を知らないのと同じだよ?
恥ずかしいわ。蒙昧どもが家族だなんて。本当に恥ずかしい」
父「フェイトちゃん可愛いよフェイトちゃん」
プログラムが動かないときのプログラマの言い訳ナンバー1は:
私のマシンではちゃんと動くよ
本当にステーキが好きな人なら、最初の1ヶ月くらいは毎食ステーキだけでも天国かも知れないが、
それが半年もつづけば、もはやステーキを見るだけでウンザリするだろう。
プログラミングが好きでプログラマーになってしまった人は、
これと同じ種類の拷問にかけられる。
なぜ、そのフレームワーク、ツール、ライブラリ、DBを使ったのか?
他に、どのようなフレームワーク、ツール、ライブラリ、DBが候補として
上げられたのか?
他の選択肢と比べて、どの様な短所と長所があるのか?
なぜ、他の選択肢ではなく、それを選んだのか?
使う前に、どのように性能評価・検証したのか?
なぜ、ある部分を汎用的に作り、別の部分をハードコーディングしたのか?
なぜ、その設計だと、生産性が高く、トラブルのリスクやメンテナンスコストが低くなるのか?
もっと低くできる余地として、どのようなものが考えられ、
なぜ、それを作り込まなかったのか?
実際に、どのようなトラブルが起こり、それにどのように対処したのか?
今までの経験で得たもので、いまも役に立つものはどれくらいありますか? あまり使えるものがない……と思った人は、これから増やすよう心がけましょう。今までやってきたことをこれからもやるだけです。できないわけがありません。
「年齢が……」ですとか、「そういうのは上がやる事じゃない」と言うのはただの言い訳です。もしそれでも言い続けるのならば、その代償としてあなたの仕事はなくなるという事を覚えておいてください。
幸せとは何か。健康とは何か。こういったテーマについて昔から多くの人が考えてきました。どうすれば、健康で、幸せな暮らしができるのか。確かに、これは人間であるかぎり、皆に共通した問題であると言えるかもしれません。ある人は、幸せとは多くを求めず、わずかな事に満足を知ることである、と考えました。
例えば、出世や成功を目指せば、必然的に失敗による不幸を味わう可能性が生じます。初めから、成功を求めず、現状に満足するように気持ちを変えれば、不幸を味わわずにすむというわけです。恋愛も喜びと同時に悲しみを与えます。悲しみを回避するためには、喜びをあきらめればよい、人を好きにならなければ、傷つかなくてよい、そう考えるわけです。
確かに、世の中の皆が、こういう考えを徹底すれば、争いや怒り、悲しみは大幅に減少するかも知れません。でもこれは短期的にはうまくいっても、長期的、いや一生の方針とするには少し無理がある気がします。この考えかたは、やはり「やせがまんの思想」と呼ぶべきかも知れません。
一方幸せは、自分の決めた目標や夢を努力によって達成して行く中に見出せる、とする立場があります。多少の失敗にはへこたれず、常に前向きにチャレンジする姿勢には、確かにわれわれの胸を打つ真実があると言えます。しかしこの立場はともすれば、人生の価値を、成功や失敗という結果だけで推し量る傾向を生みます。
成功者の努力を称える立場とは、裏を返せば敗北者の努力不足を非難する立場を意味するかも知れません。また、成功という言葉自体あいまいな言葉です。ある人にとっての成功は、別の人にとって失敗を意味するかも知れません。失敗、成功を決定する絶対的な基準は存在しないので、人生の価値をそれだけで決定しようとする態度は、やはり無理があると思われます。
例えば、成功を求めて人生を掛けても、一体いつになれば心からの満足を得ることができるでしょう。常に「上には上がいる」という現実の壁が私たちにこう語ります、「君はよく頑張っている、だがまだまだ努力が足りない」と。
上にあげた二つの考え方は、私たちのだれもが知らず知らずのうちに取り入れている(場合に応じてブレンドもする)ものですが、人生を最後まで生きていくための方針としては、どこかに不完全な点をかかえています。というのは、いかに時代が進歩しても、死すべき人間の定めはいかんともしがたいわけで、いわゆる世捨て人も、また「わが辞書には「不可能」という文字はない」と豪語する自信家も、死の恐怖を簡単に追い出すことはできないからです。
病気や死の恐怖は、人間の努力や美徳とは無関係に、すべての人間の幸せを脅かすと言ってよいでしょう。ただ、日常調子よく暮らしていたり、余りにも忙しすぎると、こういった点を一時的に忘却することになるわけです。ではこの問題を解く鍵はどこにあるのでしょうか。
働くことはそれ自体意味がある。だからこそ、働くこと自体を報酬にしてしまってはならない。
それは労働を与えるものと労働を受け取るものの関係で社会の仕組みを構成しているわれわれにとっては、譲ってはならない一線なのだと思う。